質屋

貸金業の歴史

お金を持っている人が、お金を必要としているに賃借することは金融業の本質であり、その歴史は古く奈良時代にはすでにあったことが文献に残っています。鎌倉時代に入ると、物を担保とした貸金業者が登場し、庫倉(くら)と呼称されて室町時代を含めて大きく発展していきました。

江戸時代には質屋が誕生

その後、江戸時代に入ると質屋が増え、庶民に広く知られるようになりました。当時の質ぐさとして、衣類、装身具、家具などの日常用品が多く、中には侍の刀などもあったようです。当時の江戸には3000軒近くの質やがあったと、当時の文献に残っています。

また、江戸時代では高利の金融業者も誕生し、今でいう日掛けで金銭を貸し付けて即日返済や毎日割賦返済をさせる「日なし金」あるいは、「鳥金」という業者も存在していました。烏金とは、夜明けでカラスが鳴いたら返済するという意味です。

それとは別に、庶民の間で相互扶助金融として、「頼母子講(たのもしこう)」がありました。これは、何人かの仲間が掛け金を持って集まり、集まったお金をくじ引きや入札によって落札者へ融資をするというシステムです。

この頼母子講は、明治に入ると無尽会社となって発展をし、その後の銀行法の特例法によって、普通預金と定期預金が認められました。

更に、1976年の相互銀行法によって相互銀行となり、1989年以降は普通銀行へ転換しています。

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掛け売り、月賦販売

その他には、江戸時代には様々な金融制度が確立しています。今でいうクレジット販売などもこの時代には存在しており、当時は「掛け売り」「月賦販売」と呼称されていました。

質屋取締条例

明治時代に入ると、正式に質屋に関する法令が施行されました。それが1884年(明治17年)に施行された質屋取締条例です。

その後、1894年(明治27年)には、質屋取締法へと改正されていきました。その後、質屋営業法へと改正され、昭和30年代頃までは庶民に広く活用される金融業者として認知されていました。

しかし、昭和40年以降はサラリーマン金融(消費者金融)などの無担保無保証の個人ローンを取り扱う金融業者が出現したことで、質屋は徐々に衰退していったのです。